2019年7月9日に亡くなったジャニー喜多川さんの若い頃が美青年だったと話題になっています。
若い頃の画像を見てみると英国紳士風の装いをしていて、ハーフに見える!という声もあがっていますね。
事務所のタレントさんですか?と間違えられてしまいそうなイケメンのジャニー青年ですが、家系や血筋はどうなっているのでしょう?
ジャニー喜多川の若い頃の顔写真がイケメン【画像】
ジャニー喜多川さんといえば、
表舞台に姿をみせないことや顔画像が全然出回らない人物として有名でしたが、
数少ない写真の中でジャニー喜多川さんの若い頃を映した貴重な写真が上の画像です。
髪型やファッションから推測するに、
ジャニー喜多川さんが20代から30代の頃に撮影された写真ではないでしょうか!?
小田和正さんに似ているという声もありましたが、若い頃よりも歳をとってからの方が似てきている気がします。
同性愛者であると言われているジャニー喜多川さんは、
若い頃には事務所のタレント少年に性的行為を行っていたこともあり、
少年愛の被害を受けたとして「フォーリーブス」や「光GENJI」が暴露本まで発表していますよね。
とても美青年でイケメンのジャニーさんの若い頃の顔立ちからはそういった少年愛や同性愛は想像できません。
ジャニー喜多川はハーフ?実は本名も血筋も日本人!
ジャニー喜多川さんの若い頃の顔写真を見てみると、
英国紳士風の服装に身を包んでいてハーフにも見えてしまいます。
実際にジャニーさんを「ハーフ」で検索する方が多くいるようです。
たしかに「ジャニー」という名前からはハーフを連想してしますが、
ジャニーさんの本名は「喜多川 擴(きたがわ ひろむ)」といい、れっきとした純日本人です!
ジャニー喜多川の家系図や生い立ちは?
上に掲載した喜多川家の家系図のとおり、
ジャニー喜多川さんの父親は高野山米国別院の僧侶「喜多川諦道」さんで、
母親の「喜多川栄子」さんも同じく日本人です。
ただ、ジャニーさんが「ハーフでは?」と言われ続けてきた理由の一つに、
ジャニーさんの生まれがアメリカのロサンゼルスであるという背景があります。
お父さんの仕事の関係でアメリカ生まれとなったジャニーさんは2歳の時(1933年)に日本に帰国し、大阪市で生活していました。
しかし母親が亡くなり終戦後の1947年には兄弟で再びロサンゼルスに渡り、 現地の高校・大学(ロサンゼルス・シティ・カレッジ)に進学しています。
お兄さんは「喜多川真一」さんで、科学者としてNASAでアポロの設計にも携わっていたそうですが、1980年代に50代半ばという若さで亡くなっています。
ジャニーさんはアメリカでは「ジャン・ヒロム・キタガワ(John Hiromu Kitagawa)」という英語名で活動していたとのこと。
つまりジャニーさんの「ジャニー」という呼び名は英語名 「ジャン」の愛称だったということなんですね。
ジャニーズ事務所の設立は、少年野球チーム「ジャニーズ」から始まった
ちなみに事務所の名前になっている「ジャニーズ」は、もともとでジャニーさんが子供達を指導していた少年野球チームの名前だったそうです。
それがある日、この少年野球チームのメンバー4名を連れて映画「ウェストサイドストーリー」を見にいったところ深く感動したそう。
これがきっかけでエンターテイメント事業を興すことを思いつき、
1962年に映画を見にいった4名の少年たちをメンバーとして「ジャニーズ」事務所設立に至ったそうです。
ちなみにこの4名の少年メンバーとは、
故・真家ひろみさん、飯野おさみさん、中谷良さん、あおい輝彦さんのことです。
あおい輝彦さんは「水戸黄門」の助さん役や「あしたのジョー」の矢吹丈の声で有名ですね。
ジャニーズ事務所設立後は苦しい時期を乗り越えながら多くのアイドルを輩出し、
1980年代には「たのきんトリオ」「シブがき隊」「少年隊」「光GENJI」「男闘呼組」など芸能史に名を刻む超有名アイドルを次々と誕生させました。