2019年7月9日にジャニー喜多川さんが亡くなってからというもの、メディアでは連日のようにジャニーさんの生前の輝かしい功績や事務所タレントとの心温まる絆が報じられてきました。
その陰で表立っては報じられないジャニーさんの「性犯罪者」について真相を求める声が高まっています。
実はジャニーさんの同性愛やホモセクハラが話題となったのは1999年のこと。
2004年には最高裁の判決で少年への同性愛行為が認定されています。
かなり前のことなのでジャニーさんにそんな「闇」があったことを初めて知ってショックを受けた方も多いのではないでしょうか?
ここでは改めてジャニー喜多川さんの少年愛裁判の内容や裏事情を確認してみたいと思います。
少年愛裁判のきっかけと争点は「掘った」ことだけではなかった
ジャニー喜多川さんの少年愛裁判のきっかけとなったのは、
『週刊文春』が1999年に繰り広げたジャニーズ事務所を告発するキャンペーンです。
この一大キャンペーンでは10回以上にわたりジャニーさんの性的虐待や未成年タレントの喫煙などが記事として取り上げられました。
つまりジャニーさんに関する告発の内容は少年たちを「掘った」ことだけにとどまらず多岐に及んでいたということです。
週刊文春によるジャニーズ事務所糾弾した内容のすべては以下の通りです。
- ジャニー喜多川は少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなる状況に乗じてセクハラを行っていること
- 合宿所などで少年らの日常的な飲酒、喫煙を認めていること
- 学校に行けないような無理なスケジュールを課していること
- ジュニア4人が起こした万引き事件の報道を封印したこと
- フォーリーブスのメンバーに対して非道なことをしていること
- 関西出身のジャニーズは給与などの面で冷遇されていること
- かねてより所属タレントは給与が少ないなど冷遇されていたこと
- チケット購入の際、手数料がかかるなどファンを無視したファンクラブを運営していること。ジュニアと付き合っているファンに対し脅したこと
- マスコミはジャニーズ事務所を恐れ、追従していること
出典:『芸能界スキャンダル大戦争』(鹿砦社)
ジャニーズ事務所はこういった週刊文春の告発に対して記事が名誉毀損であるとして、
文春に対し1億円の損害賠償を要求する民事訴訟を起こしたわけです。
東京地裁での一審判決はジャニー側が勝訴
一審判決は東京地裁で2002年3月27日に出されました。
この判決では文春側に880万円の損害賠償を命じられ、ジャニー側の勝訴となったんですね。
一審判決ではジャニーさんの同性愛行為は認定されず、認められたのは上で紹介した告発内容のうち3「無理なスケジュール」、6「関西出身ジャニーズへの冷遇」、8「ファンの酷い扱い」、9「マスコミの追従」のみでした。
当然、文春側はこの判決が不服ですので、東京高裁に控訴となりました。
東京高裁での二審判決はジャニー喜多川の同性愛行為が認定
二審判決は東京高裁で2003年7月15日に出されました。
ここで初めてジャニーさんの所属タレントへの同性愛行為が公式的に認定されました。
その結果一審判決での同性愛部分に関するジャニー側の勝訴は取り消され、
文春側に命じられた損害賠償額は120万円に減額されたわけです。
第一審では証言に立った少年の説明があやふやだったため文春側のボロ負けになったのですが、
第二審では新たな証拠能力の高い証言者が現れて、ジャニーさんの同性愛行為が認めらたそうです。
また、1995年の時点でジャニーズ事務所とやり合っていた出版社である「鹿砦社」の松岡利康社長も、この文春裁判でアドバイスをするなど水面下で協力していたと言われています。
最高裁の最終判決で同性愛行為が確定されジャニー喜多川は敗訴
二審判決ではジャニーさんの「人生最大の汚名」が認められてしまったので、
ジャニー側は損害賠償額を不服という理由で最高裁に上告しました。
しかし2004年2月24日の最高裁の最終判決でジャニー側の訴えは棄却され(藤田宙靖裁判長)、
ジャニーさんの少年への同性愛行為の認定が確定し、ジャニー側の敗訴となりました。
ちなみにサイゾーウーマンによると一連の少年愛裁判でジャニーズ側の代理人を担当したのは、矢田次男という弁護士なのだそうですが、
この矢田弁護士はもともとジャニーズと仲が悪いことで有名な事務所「バーニング」のお抱え弁護士だったとのこと。
ジャニーさんの少年愛裁判以後は、ジャニーズ事務所顧問弁護士として2009年のSMAP草彅剛さん泥酔事件や、2018年のTOKIO山口達也さんの強制わいせつ事件も担当しているようです。
芸能人絡みの弁護に強いということで、高額な報酬でもってジャニーズ事務所に一本釣りされた可能性もありそうですね。